蛙(かわず)の独り言【登米市の歴史発信&劇場紹介】

このページでは、登米市の歴史や登米祝祭劇場にちなむ出来事などを紹介します。行間からは市民の劇場に対する思いや苦労が垣間見えるはずです。

 

 

主人公は松尾芭蕉!登米市が舞台のコミカル歴史小説「元禄一関街道忍び旅」

330余年前、松尾芭蕉主従が登米市登米町に一泊した。旅の目的は「500年忌を迎えた西行法師の足跡を辿る」。ならば安全な奥州街道ではなく、険阻な脇往還・一関街道を北上したのは何故?

ふた昔前のお家騒動に続き、仙台藩に忍び寄る新たな事件の火種。その背景には歌枕に絡む徳川幕府の陰謀が……。

俳聖はこの難題にどう立ち向かうのか。そして……彼がこの度で会得したとされる蕉風俳諧の奥義とは……。その謎を歴女の高校2年生が解き明かす痛快コミカル小説。

新型コロナウイルス禍で休日の巣籠もりを余儀なくされた(公財)登米文化振興財団職員が破天荒な発想で挑んだ400枚の力作?!

幕末〜明治初期の医聖「石川桜所」が主人公の歴史小説

第17回登米市民劇場「夢フェスタ水の里」(平成27年3月開催)の原作となった「近代医学の羅針盤 桜所・石川良信」。(公財)登米文化振興財団職員が執筆しました。
第17回夢フェスタは登米市中田町出身の医聖・石川桜所を主人公とした創作劇。桜所は幕末から明治期に活躍した蘭方医。幕末には徳川幕府奥医師筆頭の法印兼侍医として、大政奉還前後の第15代将軍徳川慶喜を支えました。維新後は死刑囚として捕らえられるなどしましたが、発足したばかりの帝国陸軍軍医部の軍医監として近代医学の普及に尽力しました。
以下、作品を掲載します。

佐沼高校校歌の解説授業 満10年

登米市にある宮城県佐沼高校の校歌は大正〜昭和期に活躍した碩学、釈迢空が作詞しました。古語を駆使した格調高い秀作ですが、現代の高校生には難解でした。

そこで、同高校の関係者は平成18年春、当法人の山田悦且に対し、「校歌」解説を依頼しました。依頼を受けた山田は「佐沼高校の校歌に関する考察と推論」と題して、授業を始めました。初年度は全校生を、2年目からは新入生を対象に授業を続け、平成28年春で計11回、満10年を迎えました。この間、計13学年に対して授業をしたことになります。18年度は4月27日に開催され、約240人が授業を聴きました。

釈迢空の本名は折口信夫。民俗学者、古代学者、宗教学者、万葉集の研究家として活躍しました。釈迢空は文学、特に歌人としての筆名です。 以下、18年度版の講話レジュメを掲載します。

広報とめ掲載記事

■平成27年(2015年)4月1日号(239)

 

・ 登米市民劇場「夢フェスタ水の里」第17回公演@

・ 登米市民劇場「夢フェスタ水の里」第17回公演A

 

■平成26年(2014年)10月1日号(227)

 

・ 劇団ドリーム★キッズ公演

 

■平成26年(2014年)4月1日号(215)

 

・ 登米市民劇場「夢フェスタ水の里」第16回公演@

・ 登米市民劇場「夢フェスタ水の里」第16回公演A

 

■平成25年(2013年)10月1日号(203)

 

・ 劇団ドリーム★キッズ公演@

・ 劇団ドリーム★キッズ公演A

 

■平成25年(2013年)9月1日号(201)

■平成25年(2013年)4月1日号(191)

 

最高級のピアノが2台に・・・・・名鉄が震災復旧で贈り物

名器と呼ばれるスタインウェイ&サンズ社製のフルコンサートピアノが平成23年6月、当法人に贈られました。
平成23年8月7日には登米市出身で人気・実力bPのピアニスト及川浩治さんの手で、ホールデビューを果たしました。当法人には登米祝祭劇場開館時から同型のピアノがあり、同社製の名器2台持つ数少ない文化会館となりました。県内では東京エレクトロンホール宮城に同型ピアノが2台あるといいます。

 

  登米祝祭劇場 演奏会写真
 

ここをクリックすると写真が拡大表示されます。

贈り主は宮城交通の親会社でもある名古屋鉄道。閉館した文化ホールにあった逸品を東日本大震災で被災した宮城県内で有効に活用してもらおうと、宮城県教育庁を通じて譲渡先を募りました。一方、当法人は管理運営する登米祝祭劇場の大きな被害をいち早く復旧させました。その結果、同社などから「ピアノの保管と有効な活用が期待できる」と認められました。

 

8月7日は登米芸術鑑賞協会など主催の「及川浩治とふるさとが育むピアニストによるチャリティーサマーコンサート」があり、このピアノは同コンサートを通じて使用されました。及川さんは、「素晴らしい音色。弾き込めば更に良い音を出してくれるでしょう」と話していました。

 

 

河北新報掲載記事

■平成23年(2011年)1月12日

■平成20年(2008年)2月15日〜2月17日

■平成19年(2007年)4月7日

■平成18年4(2006年)月〜平成19年(2007年)3月 河北新報連載 「蛙の独り言」

新生・新田小学校歌・児童会歌の完成 に協力

新田小学校校歌

新田小学校児童会歌

 

校歌・児童会歌について


 旧新田第1小学校、第2小学校のPTA関係者らによる校歌制定委員会が平成20年10月下旬、組織されました。席上、校歌に盛り込みたい言葉を在校児童から募り、それを基に、登米祝祭劇場職員で歌人の山田悦且(新田在住)に作詞を依頼することが決まりました。
 同年12月に完成した詞には「稲穂」や「沼に咲く蓮」「広い空」など新田小周辺の原風景が描かれ、その中に未来に向かう児童に寄せるメッセージが盛り込まれました。
 山田は校歌に採用された歌詞のほかに、何編かの作品を提示していました。そのうちの1編には「応援歌」の副題が付けられていました。
 そこで、校歌制定委員会では校歌とはひと違う、親近感のこもったこの歌詞を「児童会歌」として歌い継ぐことを決めました。
 2つの詞はさっそく、作曲家の内藤淳一氏に届けられました。
 内藤氏は2008年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲「ブライアンの休日」を手がけるなど、全国的にも知られた実力派。
 氏は詞の持つイメージを大切にしながら、新田小周辺の情景をほうふつさせる曲を瞬く間に完成させました。もちろん、歌うことで児童たちが元気になる要素を織り込むことも忘れませんでした。
 校歌と児童会歌は年明けとともに届き、児童たちの元気な声が真新しい「丘の校舎」に響き渡りました。 

 

 

 登米市立新田小学校校歌


            作詞 山田悦且
            作曲 内藤淳一


1 山の端(は)染めた朝焼けが
  澄んだ瞳を連れてきた
  そよぎ儚(はかな)い早苗田の
  緑が日ごと増すように
  気迫みなぎる学び舎で
  次代の知識養おう

2 葦(よし)切りの声長沼と
  伊豆沼の面(も)に響く頃
  澱(よど)みに耐えて咲き誇る
  蓮(はちす)の華の薄紅(うすべに)を
  肩組み合って見守れば
  きっと生まれる思いやり

3 白鳥と雁(かり)渡り行く
  空の広さを知る夕べ
  栗駒望むこの丘で
  手を取り合って理想郷(ユートピア)
  つくる誓いを忘れずに
  羽ばたけ新田小学校

 

登米市立新田小学校児童会歌
  「君の笑顔に会うために」


            作詞 山田悦且
            作曲 内藤淳一


1 若葉のそよぎに包まれて
  声掛け合って急ぐ朝
  目指す校舎はもう間近
  門をくぐれば教科書と
  君の笑顔が待っている

2 ノートを走るペン先の
  音だけ響く教室で
  校庭駆ける友と目が
  合って幸せ膨らんだ
  君の笑顔にありがとう

3 授業を終えて手を振れば
  白鳥の群れ帰り行く
  学んで遊んで語らって
  心豊かに明日もまた
  君の笑顔に会うために
       (平成二十一年三月制定)