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 第15回公演について

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第15回登米市民劇場「夢フェスタ水の里」

歌舞伎役者 助高屋 宇藤留蔵
    〜「登米芝居の祖」誕生秘話〜



○脚本・演出
 大友久仁恵

主催/登米市 登米市教育委員会 (公財)登米文化振興財団
主管/夢フェスタ水の里実行委員会
企画/夢フェスタ水の里制作委員会

■公演日程・動員数
平成25年
3月2日(土)
午後6時「森邑おいとこ踊り・大網おいとこ踊り」
午後6時30分開演 入場者383人
3月3日(日)
午後1時30分「森邑おいとこ踊り・大網おいとこ踊り」
午後2時開演 入場者664人

■会場
登米祝祭劇場 大ホール


イラスト原画/秋山清人
背景写真/小林武敏
 あらすじ
 時は嘉永元(1848)年。ところは登米(とよま)郡森村の大網。芝居小屋「京楽座」の座長・宇藤留蔵(うとう・とめぞう)が危篤との知らせを聞き、留蔵を師匠と慕う多くの村人たちが集まっていた。
 留蔵は、上方で一世をふうびした歌舞伎役者。耳の病で引退を決意し、故郷に帰ってきた。留蔵はここで静かな余生を送るはずであった。ところが、村人たちに芝居の指導をせがまれ、引き受けることに。指導していくうちに、留蔵の中で眠っていた「芝居の虫」が騒ぎ始めた。とうとう、村人たちと芝居小屋「京楽座」を興したのだ。
 しかし、歌舞伎役者・宇藤留蔵が誕生するまでには、知られざる物語があった。18歳の留蔵は、故郷を後にし、一人、芝居の世界に飛び込んだのだった……。

 登米市が生んだ名優 宇藤留蔵の生涯
寛政元(1789)年
文化2(1805)年



天保14(1843)年

嘉永元(1848)年
登米郡森村大網(現在の登米市迫町佐沼大網)に生まれる。
助高屋(すけたかや)の一座が、森村大網の千枝家の敷地内に芝居小屋を建てて興行し、連日大入りとなる。幕引き役を買って出た18歳の留蔵は、そのまま一座に加わる。
*その後、上方歌舞伎で助高屋四良三郎(すけたかや・しらさぶろう)と名乗り、名女形として活躍する。
耳を患い引退、故郷に帰る。芝居小屋を作り、近郷近在の同行者に芝居や踊りを指南する。おいとこ踊りや数え甚句に振りを付ける。地歌舞伎「米岡芝居」の指導にも当たったという。
7月14日逝去、天真山林昌院に眠る。
(三浦喜一郎著「名優 助高屋高助三代目(助高屋四良三郎)伝記」より)
*「留蔵は上方歌舞伎の名跡、助高屋高助だった」との説が地元に残る。しかし、それを裏付ける確たる資料は乏しい。

公益財団法人 登米文化振興財団

〒987-0511 宮城県登米市迫町佐沼光ヶ丘30
TEL:0220-22-0111 / FAX:0220-22-0115

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