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 第18回公演について

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第18回登米市民劇場「夢フェスタ水の里」

心の絆で山車を曳け〜登米秋まつり異聞〜


○脚本 遠山隼士
○演出 衣川城二

主催/登米市 登米市教育委員会 (公財)登米文化振興財団
主管/夢フェスタ水の里実行委員会
企画/夢フェスタ水の里制作委員会

■公演日程・動員数
平成28年
3月5日(土)
午後6時00分開演 入場者709人
3月6日(日)
午後1時30分開演 入場者962人

■会場
登米祝祭劇場 大ホール 舞台公演
       小ホール 特別展

原画/吉原かおり
題字/中澤  弘
 あらすじ

登米市登米町にある老舗旅館の跡取り、葛西朝彦と大崎政江は好意を寄せ合っていた。だが、ともに伴侶を迎える立場に悩んでいた。
 2人は古代から受け継がれる登米の歴史に興味があった。特に340年の伝統を持つ登米秋まつりが好きだった。けれども、手間のかかる祭りに懐疑を抱く者が出る一方、囃子を担う子供も減っていた。祭りを取り巻く現状を憂えた指導者の徳治は若い衆に祭りや山車の発祥を語り始めた。
 元禄2(1689)年の梅雨。登米伊達家5代当主の村直は隣接する涌谷伊達家や津田家との蟠りに悩んでいた。ふた昔前の伊達騒動が原因だった。そんな折、城下に一宿した江戸の俳諧師主従が仙台祭りの山鉾を話題にして立ち去ったことを知った。
 登米秋まつりは14年前、疱瘡快癒の御礼に村直が始めた。そこに山車を加えれば「暗い雰囲気を一掃できる」と母藤子の方に話した。それを聞いた母は「当家と関わりの深い京の雅を取り入れてほしい」と懇願した。その結果、各町内が絢爛な山車を出すことになり、若い衆が山車造りに掛かった。
 徳治が言った。「最初の山車を造ったのはお前たちの先祖」。その言葉に若い衆は「祭りを無くせない。登米以外の仲間に声をかけよう」などと心を新たにした。朝彦と政江はその中に登米市や登米町、2人の将来のヒントが隠されているのを知った。
 祭り当日。木遣りが響き、山車が巡行した。その中には登米以外の各町から駆けつけた面々がいた。

 北上川の水運とともに歩んだ登米町の歴史   仙台大学客員教授 伊達宗弘
 藩政時代、登米伊達家は13代260年の歴史を刻むが、北上川の改修によって登米町は盛岡と石巻とを結ぶ中継地として栄えた。320年前には松尾芭蕉が奥の細道記行の途次、180年前には吉田松陰が憂国の思いを胸に登米に一泊している。明治初期には、登米県、水沢県の県庁が置かれた。後に総理大臣となる齋藤實や関東大震災後に帝都復興院総裁として活躍した後藤新平は、水沢県の職員として青春の一時期を送っている。
 しかし、戦後の農地解放によって財政基盤が急速に失われ、加えて昭和27年の大火によって町の大半が消失したが、白壁の土蔵や中心部から少し離れた建物がかろうじて残った。今に伝わる登米秋まつりや薪能、神楽、そして貴重な建築は心ある人々によって今に伝えられた。
 「地方創生」が国策とされている今日、私たちは拠って立つふるさとの大地に先人が刻んだ香り高い歴史と文化とをしっかりと再認識し、未来へ向けて引き継いでいくことが大切なのではないだろうか。

 「とよま囃子・とよま木遣り」CD
 登米秋まつりと共に7曲の祭り囃子が伝承されています。それぞれの曲調を変えて城下町らしい風情を残しています。
山車が発進するときに奏でる「流し」。山車が停止しているときに奏でる「楽」「儀兵衛ばやし」「拳ばやし」。山車の進行中に囃されるテンポの速い「虎ばやし」。軽快なリズムを基調とする「あいや」。祭りが終わり、山車が各町内に引き揚げる道中で囃される曲が「はねこ」です。
 今回、伝統芸能記録保存事業として全7曲と木遣りを録音しCDを作成しました。制作協力はとよま囃子保存会の皆さんです。今回録音した音源は劇中でも使用しました。
 頒価500円。ご購入をご希望の方は登米祝祭劇場(TEL0220−22−0111)まで。

公益財団法人 登米文化振興財団

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